外国為替の相場予測

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テキストより

◆外国為替相場の変動要因

13)マサチューセッツ・アベニュー・モデル

為替レート調整は機能するか? 構造重視派の考え方

ひと世代前、発展途上国、特に中南米諸国の経済学者は様々な理由をあげて、価格メカニズム全般、とりわけ通貨切り下げによる国際収支の調整は自国では機能しないと主張するのが常であった。例えば、次のように経済制度が硬直的であると言う。農業部門が封建制に近いものであるため、たとえ価格が上昇しても生産が拡大しない。都市労働者が組織化されており、賃上げにより通貨切り下げによる物価上昇を相殺させる。さらに、これらの国では二次産品の輪出に依存しているが、これらの商品への需要は非価格弾力的であるため、輪出数量を増加させるにはかなりの価格下落が必要で、結局、外貨収入も増えないことになる。そして、輪入品と競合する製品を国内生産していないので、通貨が下落しても輸入は減少しない。このことから、彼らは、自国通貨の切り下げは貿易赤字の改善には役に立たず、ただ実質所得を低下させるかインフレを加速させる、あるいはその両方を招くだけであると主張していた。

これがいわゆる構遣重視派の考え方で、先進国の経済学者の間では今はあまり支持されていない。しかし、この考え方はしばしば形を変えて復活する。1970年代、英国では、ケンブリッジ経済政策グルーブと呼ばれる構造重視派の一派が、政策上かなり大きな影響力を持った。米国では、新構造重視派と呼ぶべき一派が出現したのは1986―87年であり、急激なドル安にもかかわらず、米国の貿易赤字が引き続き増大しているという失望感が広がった頃であった。

この再登場した構造重視派の中には、経済的な意志決定で相対価格が果たす役割を正しく認識していない、学問的に初歩的な間違いを犯しているような見解もあった。例えば、経済学の専門知識のない評論家などは、常にドル安によって米国人の日本製品の購入が減少するということを否定していた。彼らは、米国は競合品を生産していないだとか、日本製品は品質面で非常にすぐれており、円高・ドル安が進み価格格差がどれほど生じようとも何も変わらないと主張していたのである。政治的な立場から構造重視派の説を唱える者も、一向に改著しない米国の貿易問題を解く鍵として、海外の貿易障壁に過大な役割を担わせた。1980年代半ばによく聞かれたのは、海外の保護主義政策が米国の輪出増加を阻んでいるという意見だった。ファローズ、プレストウィッツ、ドーンブッシュなどの対日強硬政策の支持者は、日本の目に見えない輪入制限が為替レートによる貿易調整効果を阻んでいると主張していた。

だが、もっと典味深いのは、1980年代に出現した洗練された形の新構造重視派である。彼らは、相対価格は重要ではないとは考えていないが、不完全競争下にある企業、特に将来の為替レートについて不確実性に直面している企業の戦略が、為替レートによる国際収支の調整過程を失敗させると考えた。この新しい構造重視派の研究の中で、最も重要な概念は「市場に応じた価格設定(pricingto market)」と「ヒステリシス(履歴現象)」である。「市場に応じた価格設定」は、企業が為替変動を輪出価格に転嫁せずに、輪入国の通貨建て価格を一定にすることによって市場のシェアを保とうとする時に起こる。このような企業行動は、1980年代、いくつかの消費財で明確に見られた。特に、いくつかの日本製品では、日本から輪出された消貴財か日本に再輸入されるといった、いわば「グレー市場」が見られたのである。「市場に応じた価格設定」の理論的基礎は、ドーンブッシュによって影響力のある論文に著され、それがどの程度実際に起こっているかは、日本のデータを使ったマーズトンの実証論文の中で十分明示されている。しかし、2つの重要な問題が残る。この企業の「市場に応じた価格設定」は、1980年代になってからそれまで以上に広がり、深刻になったのだろうか?そして、それが何らかの重大な経路をへて、為替レートによる国際収支の調整過程を失敗させたのだろうか?

さらに議論が必要なのは「履歴現象」の概会である。これは、自国通貨の上昇によって失われたマーケット・シェアは、元の水準まで自国通貨が下落しても回復しないという概念である。そこでは、マーケット・シェアを一種の投資として、つまり、コストをかけて消費者の評判や流通ネットワークを構築することで得られるものと考える。いったん、外国企業がドル高を利用して米国内に新しい市場を築いたならば、たとえドル安が進み価格優位性が失われても、その市場を捨てないかもしれない。あるいは、米国企業がドル高という理由で海外市場から撤退する決定を下したならば、たとえドルが元の水準まで下落したとしても再び海外市場に出て行くのはコストに見合わないと考えるかもしれない。「履歴現象」の概念は、最初、ボールドウィンとクルーグマンの論文で仮説として紹介された。貿易不均衡が継続されている間は人気を得た仮説であったが、ボールドウィンの努力にもかかわらず、その仮説が定着するには至らなかったようである。

一般に、1987年以降、為替レートが経常収支不均衡の是正に効果がないという議論の実証的な説明力はかなり低下した。これは、どのような尺度で見ても、1987年以降は赤字および黒字が、特に成長を続けた世界所得に対して驚くほど縮小したためである。さらに、1980年代の貿易数量と価格のどう見ても異常な動向の少なからざる部分は、現実に生じたのではなく、コンビューターの価格指数のゆがみなど、統計上の誤りだったことが明白になりつつある。コンピュータの貿易の計測が容易ではないということはよく知られている。技術革新が急速で、信頼できる価格指数あるいは数量指数を作るのが非常に困難なのである。

しかし、これで構造重視派の批判が完全に根拠を失うというわけではない。重要な合理的根拠のある穏健的な構造重視派の考え方が少なくとも2つある。

第一に、一般的に、未熟な構造重視派は実体経済の複雑性や柔軟性を見落とした見当違いな具体例(例えば、「米国はビデオデッキを製造していない」とか「日本人がシボレーを買うなんて想像できるかい?」などを用いていると特徴づけられるが、これらの具体例の中には見当違いとは言えないものもある。総貿易量は個々の産業における貿易量の合計である。各産業に共通するようなエビソードは非常に多くあるが、一方で個別産業の話でも重要なものもある。米国の航空機輪出のライバルである工アバス社か補助金を受けて輪出を伸ばしていること、デトロイトの自動車メーカーが競争に敗れたことなどのエビソードを分析することは、マクロ経済分析を代替することにはならないものの、マクロ経済に全く無関係というわけでもない。

第二に、長期的に見れば為替レートの効果は証明されると考えるとしても、われわれは短期的な目で生活している。構造重視派の短期的な懸念を共有するからといって、強硬的な構遺重視派になって、為替レートは貿易収支調整に全く無効であると信じる必要はない。穏健的な構造重視派ならば、少なくとも超短期、おそらくもう少し長い期間をとっても、大幅な貿易収支調整に必要な実質為督レートの変化は大きすぎて許容できないと述べるだろう。

例えば、ある国が大きな貫易赤字を持っているとしよう。その国で突然、外資流入が断たれれば貿易赤字が急減することになる。もし、これが純粋に通貨の切り下げで行われるとすれば、その国の経済は大きなインフレ・ショックに見舞われるだろう。結果的に、国際収支が危機に陥った国の調整過程は、通常、通貨の下落とともに景気後退を招くことになる。これは有名なステファン・マリスの「ハード・ランディング」シナリオである。マリスの警告にもかかわらず、このようなハード・ランディングは米国では起こらなかった。だが、それが起こらなかったからといって、ハード・ランディングはあり得ないと結論づけるべきではない。中南米諸国を見てみるといい。それでは、なぜ米国はハード・ランディングを回避できたのか。マリスによれば、その一番の理由は資本市場における「債務履行の猶予性」にあるという。つまり、米国の資本市場は貿易赤字の急激な減少を強いず、そのかわり徐々に調整が進行することで米国の赤字が継続してファイナンスされることを望んでいたという。マリスは、金融市場の猶予性はかなりの部分、政策立案者の協調的なマーケットの誘導によって促進されたと主張したが、この猶予性は実際にもモデル上で予測しうるものであった。当局か随時ドルの急落を回避しようと介入していたので、ドル安が貿易赤字の縮小をもたらすまでの長い期間、米国は資本を流入させることができたのである。これによって、中南米諸国などでハード・ランディングを生み出した「通貨切り下げとスタグフレーション」のサイクルに陥らずにすんだのである。


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▼ 林康史プロフィール

林 康史(はやし・やすし)

立正大学経済学部教授/法学修士。

主な担当分野

【学部】金融論、国際金融論、証券論、中国金融。

【大学院】金融特論、金融特殊研究。

 

大阪生まれ。大阪大学法学部卒。法学修士(東京大学)。クボタ、住友生命保険、大和証券投資信託、あおぞら銀行(職務経験は、輸出営業、原価管理、為替ディーラー、エコノミスト、ストラテジスト等)を経て、2005年から現職。華東師範大学(客員教授)、一橋大学(非常勤講師)、日本学生支援機構 機関保証制度検証委員会(委員長)等。その他、評論活動等。

 

主な著書・訳書
『株式投資 第4版』『基礎から学ぶデイトレード』(監訳)『マネーの公理』(監訳)以上、日経BP社、『決定版 株価・為替が読めるチャート分析』『ジム・ロジャーズ中国の時代』(共訳)『人生と投資で成功するために娘に贈る12の言葉』(監訳)『欲望と幻想のドル』(監訳)以上、日本経済新聞出版社、『欲望と幻想の市場』(訳)『相場のこころ』(訳)以上、東洋経済新報社、他。DVDに、『テクニカル分析を極める短期集中講座』(全4巻=8本)『相場で勝つための心理学』『解説!デイトレード 第1巻』『BS―JAPAN 相場の心理学(上・下)』、他。

 

現在の研究テーマ

(1)金融システム・金融法

(2)マーケットストラクチャー・価格形成メカニズム

(3)行動ファイナンス

(4)パーソナルファイナンス

(5)金融教育

(6)ドル化

(7)貨幣論・地域通貨

(8)マイクロファイナンス

(9)商品論

(10)石橋湛山

 

主な研究実績
(1)共著(木下直俊・林康史)

「“ドル化”国の中央銀行の役割と政策」全国銀行協会『金融』(第800号)2013年11月

(2)共著(林康史・木下直俊)

「ドル化政策実施国における金融政策―エクアドル・エルサルバドル・パナマの事例―」『経済学季報』(第64巻第1号)2014年7月

(3)共著(林康史・歌代哲也・木下直俊)

「エクアドル・エルサルバドルの補完通貨UDIS」『経済学季報』(第64巻第2・3号)2015年1月

(4)共著(林康史・劉振楠)

「グラミン銀行とマイクロファイナンスのコンセプト―奨学金制度のビジョン再検討のために―」『経済学季報』(第64巻第4号)2015年3月

(5)共著(畠山久志・林康史・歌代哲也)

「外国為替証拠金取引規制―わが国におけるFX取引の沿革と現状―」『経済学季報』(第65巻第1、2、3・4号)2015年8月、11月、2016年3月

(6)単著

「貨幣とは何か」『貨幣と通貨の法文化』第11章、国際書院 2016年9月

(7)共著(潘福平・林康史)

「人民元の為替相場制度の変遷」『21世紀資本主義世界のフロンティア』第5章、立正大学経済研究所研究叢書31巻 2017年3月

(8)単著

「経営とガバナンスから見た食の安全―日本・中国・韓国の比較―」『経済学季報』(第67巻第2・3号)2017年12月

(9)共著(木下直俊・林康史)

「オデブレヒト汚職事件と中南米諸国への影響」『経済学季報』(第67巻第4号)2017年3月

(10)共著(歌代哲也・林康史)「ベネズエラの共有通貨Panal」『経済学季報』(第67巻第4号)2017年3月

 

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日本金融学会、金融法学会、法と経済学会、法文化学会、行動経済学会、FP学会